『 漱石クロニクル ―絵で読む夏目漱石の生涯― 』
大高郁子
漱石クロニクル
―絵で読む夏目漱石の生涯―
大高郁子
第一回 金之助誕生―我楽多と一所に笊の中
慶応三年(一八六七年)0歳
二月八日(陰暦一月四日)、塩原昌之助、夏目家に来て、小兵衛(直克)に向い、こんど生まれる子供を養子に欲しいと申し出る。
二月九日(陰暦一月五日)、父、夏目小兵衛(直克、五十歳)、母、ちゑ(千枝/知恵、後妻、四十一歳)の末子として、江戸牛込馬場下横町(現・新宿区喜久井町一番地)に生まれる。
兄姉は、長女・さわ(佐和、二十一歳)、次女・ふさ(房、十六歳)(以上、先妻こと〈琴〉の子)、長男・大一(後に大助、十一歳)、次男・栄之助(後に直則、九歳)、三男・和三郎(後に直矩、八歳)、 四男・久吉(元治二年(一八六五年)三歳で死去)、三女・ちか(慶応一年(一八六五年)一歳で死去(以上、ちゑの子)の七人だった。
二月十五日(陰暦一月十一日)、命名日(推定)。庚申の日の申の刻に生まれた者は、出世すれば大いに出世するが、一つ間違うと大泥棒になる。但し、名前に金の字か金偏の字を入れると、この難を免れるとの云い伝えから、「金之助」と名づけられた。
母乳不足により、まず、夏目家の女中、お松の妹夫婦で四谷の古道具屋の元に里子に出される。源兵衛村(現・新宿区戸塚)の八百屋という説もある。
『硝子戸の中』二十九より
《私は両親の晩年になつて出来た所謂末ツ子である。私を生んだ時、母はこんな年歯をして懐妊するのは面目ないと云つたとかいふ話が、今でも折々は繰り返されてゐる。》
《単に其為ばかりでもあるまいが、私の両親は私が生れ落ちると間もなく、私を里に遣つてしまつた。其里といふのは、無論私の記憶に残つてゐる筈がないけれども、成人の後聞いて見ると、何でも古道具の売買を渡世にしてゐた貧しい夫婦ものであつたらしい。》
《私は其道具屋の我楽多と一所に、小さい笊の中に入れられて、毎晩四谷の大通りの夜店に曝されてゐたのである。》
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