寺子屋山頭火
町田康
寺子屋山頭火
母親の井戸への投身自殺、父親は行方知れず、弟二郎は縊死。次々と肉親の不幸に見舞われる山頭火だった。東京での勤務先の図書館は退職し、収入の道も断たれる。そして追い打ちをかけたのはあの天変地異だった。
町田康
第十四回 関東大震災に遭う
遠い記憶である母の死と近い弟の死は山頭火を打ちのめしただろう。酒と死。このふたつ、山頭火は生涯之れを意識せざるを得なかったように思う。
このことについて山頭火は自己処罰的な感情を抱いていた。
そしてそのうえで山頭火は文学への志を抱いていた。そして明治のこの時期、文学を志すということは社会を造り替えること、或いはまた新しく創り出すこと、であっただろう。
そしてそれは、自分自身をこれまでの世間から切り離された個人として造り替える、または創り出すことでもあっただろう。
多くの青年がこんな考えに接近したのは大学周辺に蔓延していた文学なるものへの憧憬や時代の状況もあっただろうが、山頭火の場合はより、こんな考えに乗りやすかったのかも知れない。
なぜなら、「母はなぜ死んだのか」という解けぬ問いは山頭火につきまとい、また、これを救うことができなかった自分を罰したい、という気持ちは悔恨としてずっとあったが、もし、(父親の妻に対する態度や行動に現れる)因習的な前の時代の意識によって母が死んだ、とすれば、子である自分がこれを打ち破り、乗りこえることは母に対する供養であり、ひいては自分自身の救済にも繋がると思えたからである。
しかーし。山頭火は自分のメンタルと実家の経済状態の悪化により、学業を中途で断念することになった。
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