漱石クロニクル ―絵で読む夏目漱石の生涯―
大高郁子
漱石クロニクル
―絵で読む夏目漱石の生涯―
大高郁子
第三回 傑物・変物 金之助―文学者になることを一決
明治十六年(一八八三年)十六歳
五月、正岡常規(子規)、愛媛県立松山中学校を退学し、六月十日、初めて上京する。
秋頃、金之助は成立学舎(神田区駿河台鈴木町十三番地、現・千代田区神田駿河台二丁目か三崎町一丁目の一部)に入学する。
金之助の同級には、橋本左五郎、太田達人、中川小十郎、佐藤友熊、小城斎、先輩には隈本有尚、新渡戸稲造、井上準之助らがいた。
八月、次兄直則(二十五歳)、東京の電信中央局から岡山電信局へ転勤になる。岡山市内山下百三十八番邸(水の手)の片岡機の長女小勝(文久三年一八六三年生れ)と結婚し、小勝の実家の隣に新居を構える。当時、直則は夏目家の祖先である臼井家(小石川大塚町)の跡を継ぎ、臼井直則と名乗っていた。
九月頃、金之助は小石川極楽水の際の新福寺(真宗大谷派。小石川区白山御殿町、現・文京区白山三丁目一番二十三号)の二階の二間に、橋本左五郎、石川謙三らと共に下宿。下宿代は二円で、自炊をしながら、大学予備門入学のための準備をした。
下宿代や成立学舎の費用の多くは養父塩原昌之助が出していたらしい。(関荘一郎「『道草』のモデルと語る記」による推定)
十月、正岡常規は共立学舎へ入学。高橋是清からパーレーの『萬國史』を習う。また『荘子』の講義に大いに影響を受ける。
明治十七年(一八八四年)十七歳
一月七日、長兄大助(二十八歳)、家督相続し、夏目家の戸主となる。
六月~十月二日までの間に、大助は陸軍省文官十等出仕(月給四十五円)に任命される。
七月、養父塩原昌之助は、塩原金之助名義の家屋(下谷区西町四番地、現・台東区東上野一丁目)を無断売却し、その家屋を買手に明け渡さなかったため、立退き請求の告訴をされる。
登録初月は無料
ここから先をお読みいただくには
会員登録をお願いいたします
登録をすると、創刊号(2020年2月1日号)からのバックナンバーをすべてお読みいただけます。