漱石クロニクル ―絵で読む夏目漱石の生涯―
大高郁子
漱石クロニクル
―絵で読む夏目漱石の生涯―
大高郁子
第八回 ロンドン留学・後編―池田菊苗に刺戟され『文学論』執筆を志す
明治三十四年(一九〇一年)三十四歳
五月四日、ミッチャム街道の花屋で、薔薇二輪(六ペンス)と百合三輪(九ペンス)を買い、ベルリンから来る予定の池田菊苗をバラムまで迎えに行く。しかし、いくら待っても池田は来なかった。
五月五日の朝、突然、池田が下宿の玄関先に現われる。
池田はドイツのライプチヒ大学のウィルヘルム・オストヴァルト(Wilhelm Ostwald)の下で化学を研究した後、イギリス王立研究所(Royal Institution of Great Britain)に客員研究者として迎えられ、ロンドンに来た。
池田は漱石に下宿の斡旋を頼んでいたらしく、以後、五十二日間、同宿することになる。
小宮豊隆『夏目漱石 中』より
《漱石がロンドンで池田菊苗に会ったということは、漱石の生活にとって、一大事件であった。漱石はそのため『文学論』著述の一念を発起し(中略)外国文学に対する漱石の「他人本位」が「自己本位」に変ることができたからである。『文学論』の著述が漱石の外国文化に対する独立戦争の宣言であったとすれば、その宣言の口火を切ったものは、池田菊苗だったからである。その意味で池田菊苗は、米山保三郎、正岡子規とともに、漱石の生涯の歴史において、重大な役割を演じた人物であったと言っていい。》
五月五日午後、池田と散歩に出る。
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