漱石クロニクル ―絵で読む夏目漱石の生涯―
大高郁子
漱石クロニクル
―絵で読む夏目漱石の生涯―
大高郁子
第六回 熊本時代―俳人・教師・夫として
明治二十九年(一八九六年)二十九歳
一月三日、子規庵での初句会に参加する。内藤鳴雪、高浜虚子、五百木飄亭、森鷗外、河東碧梧桐らが集まった。漱石が森鷗外に逢ったのは、この時が初めてだった。両者は口をきかなかったという。
一月七日の朝、鏡子とその母、中根カツ等に見送られ新橋駅を出発し、松山に帰る。
鏡子との婚約は成立したが、鏡子の父、中根重一が、なるべく東京で職を探し、戻ってきて結婚するよう希望したため、婚姻の時期は決めなかった。
松山に戻ってからも、文学者としての生活を希望し、東京に帰りたいという気持ちが一段と高まる。一月十六日に書いた子規宛の手紙に「小生依例如例日々東京へ帰りたくなるのみ」ともらす。
一月二十八日、子規へ「句稿 その十」(四十句)を、一月二十九日、子規へ「句稿 その十一」(二十句)を、三月五日、子規へ「句稿 その十二」(百一句)を送る。
三月(日不詳)、熊本県の第五高等学校の教授だった友人、菅虎雄から、五高の英語教授の就職口を紹介され、松山を出たかった漱石は熊本行きを決心する。中根重一には、熊本に行くことになったので、破談にしてもらってもいいと伝えたが、漱石のことを気に入っていた中根は、一生熊本で暮らすわけでもないからと、鏡子を熊本へ嫁に出すことにする。
三月、子規へ「句稿 その十三」(二十七句)を、三月二十四日、子規へ「句稿 その十四」(四十句)を送る。
三月三十日、愛媛県尋常中学校の第四回卒業式で、漱石が第五高等学校に転任することが発表される。
「自分は松山を去るものだ」と前置きし、学問であろうが芸術であろうが、一苦労せねば出来上がるものではない、と述べ学生たちを叱咤する。卒業生とともに写真を撮る。
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