漱石クロニクル ―絵で読む夏目漱石の生涯―
大高郁子
漱石クロニクル
―絵で読む夏目漱石の生涯―
大高郁子
第十三回 修善寺の大患―病と共に心に生き還る
明治四十二年(一九〇九年)四十二歳
十一月二十五日、「東京朝日新聞」に「朝日文芸欄」が創設され、主宰する。毎日、三面の一段から三段程のスペース(一段は十八字詰め六十七行)をあて、雑報欄として六号活字で組んだ「柴漬」を添えた。
森田草平に給料として毎月五十円の手当を払い、自宅で編集させる。森田は週に二、三回、東京朝日新聞社まで原稿を持参した。小宮豊隆と東新が手伝った。
十一月二十五日から十二月二十九日まで、「朝日文芸欄」には、大塚保治、安倍能成、森田草平、戸川秋骨、小宮豊隆、坂本四方太、新海竹太郎、畔柳都太郎、石井柏亭、阿部次郎、魚住折蘆、セルゲイ・エリセーエフ、青木健作、小林愛雄らが執筆した。
明治四十三年(一九一〇年)四十三歳
明治四十三年正月。漱石山房の南縁にて、右より、
愛子(五歳)、栄子(七歳)、恒子(九歳)
一月一日、『それから』が春陽堂より出版される。装幀は橋口五葉。一円五十銭。
二月、胃の調子が良くない。胃薬を飲み、いい加減な手当をする。鏡子は親類の老人に、放っておくと癌になるから専門医に診せるよう勧められる。鏡子は顔を見る度、忠告するが、漱石は癌になったらなったで仕方ないと言う。
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