Dr.よねやまの芸脳生活 芸術家の生き様を医学で考える
米山公啓
Dr.よねやまの芸脳生活
芸術家の生き様を医学で考える
米山公啓
第十回 黒田清輝 絵画と政治
器用で短かった人生
ふっくらとした面立ちの黒田清輝。その外見から病気のリスクが想像できる
画/米山公啓
日本の洋画家の草分けである黒田清輝の『湖畔』は、美術の教科書で何度も見ている。油絵にしては、浴衣姿の女性が全体に淡い色で描かれている。どこか水彩画のようでもある。この作品は黒田清輝が西洋画をフランスで学び、帰国した4年後の1897年(明治30年)に描いた。清輝の名作ということになっている。
清輝の生きた明治時代は、とにかく西洋に文化も技術も追い付こうとし、有能な若者を留学させ、帰国後に日本の新しい文化を築いていこうとした。確かにそれは成功したように見えるが、芸術の世界ではどうだったのだろうか。
日本の現在の油絵が、世界的に評価されているとは思えない。そうなってしまったのは、黒田たち当時の画家が西洋絵画の技法をフランスから日本に持ち込んで、なんとか海外の絵画に近づこうと努力した結果のように見える。よかれと思ってやったことだろうが、芸術という見方からすればいい方向には働かなかったかもしれないということだ。
後に詳しく述べるが、日本画壇は、非常に不思議な閉鎖業界とも言える。
様々な才能があった清輝の画家、
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