『 伝統と破壊の哲学 』
増田伸也
伝統と破壊の哲学 Vol.11
「なぜ僕は写真で世界を目指すのか」
増田伸也
HANAFUDA SHOUZOKU#50, 2017, Shinya Masuda
「木彫りのお土産」
小学校3年の授業で、僕は初めて彫刻刀を使うことになった。
当時の小学生が版画で扱う板は非常に安価で、彫刻刀を使うには不向きなものだった。
クセの強い木目は当時の子供たちを手こずらせた。
木目に逆らうとメリメリと思いもよらぬところが欠け、そうかと思うと木目に沿って気持ちよく刀を走らせると残したい部分までザックリ削ってしまう。
ストップ・アンド・ゴーの力加減と輪郭線の線彫りの正確さが、木目制覇の肝となる。
それは初心者にとって非常に難易度の高い授業だった。
版画の授業を何回か経て、彫刻刀にそろそろ慣れてきた頃に「友達の顔」を版画にするという大作に挑む授業があった。
幾つかのグループに分かれ、机が向き合った者同士で相手の顔を彫るように言われた。
今回渡された板は大作に相応しく、いつもより厚手でキメの細かい木目だった。
そのすべすべとした板を渡された瞬間、僕はきっとうまく彫れるに違いないと勝利を確信し、拳をギュッと握った。
さて、そんな僕の前に座ったのは、真冬でも半袖半ズボンの健康優良児を絵に描いたような前川君である。ちなみに彼は米屋の息子だ。
太った身体からは想像ができない俊敏な動きと独特のギャグセンスが最高で、先生やクラスのみんなの先陣を切って笑いをとる強力なライバルであり友であった。
前川君の特徴といえば、むっちりした団子っ鼻とふっくらしたほっぺたで、いつも人懐っこい目を輝かせていた。