スーパーフィッシュと老ダイバー
岡本行夫
スーパーフィッシュと老ダイバー
岡本行夫
第1章 月という支配者―誕生


ブルー・イン・ブルー・イン・ブルー。
紅海は青い。とてつもなく青い。
際限のない青のグラデーション。きらめき、吸い込み、踊りだすブルーだ。紅海の両岸は砂漠。川がひとつも流れこんでこないから、海はおそろしく透明だ。無限の青のレイヤーが、はるか海底までつづいている。
ジョージは、その中を泳いでいた。まだ成長しきってないが、体長は2メートルに近い。青緑色の巨大な魚だ。
彼は、最近まで、自分の顔と姿を見たことがなかった。もちろん、地上の人間たちが自分を「ナポレオンフィッシュ」と呼んでいることも、知らない。
紅海は細長い。南の入り口のバブエルマンデブ海峡から北端のエジプトのラスモハメッド岬まで2200キロ。ラスモハメッドで海は二つに分かれ、西はスエズ湾になり、東はティラン海峡を経てアカバ湾につながる。
スエズ湾はスエズで、アカバ湾はエイラトで、それぞれ行き止まりになる。人間は、スエズ地峡に200キロ近い運河を掘り、紅海と地中海をつなげた。
紅海は深い。神が、力いっぱいアラビアをアフリカから引き裂いて造ったからだ。最深部は2200メートルもある。
朝の太陽は、東のティラン海峡からあがる。光は優しくて温かく、母親のようだ。夜の間に冷えてしまった砂漠と海をつつみこむ。
すぐに昼になる。太陽は遠慮なく真上からさしこみ、じりじりと地表をこがす。砂漠は焼けただれる。だが、そのじかん、海のなかには、パノラマがひらく。
ラスモハメッドの海中岸壁は、まっ赤なキンギョハナダイでうずめつくされる。何億という数だろう。美しい銀色の体にゴールドの縞の入ったツバメウオも集まっている。
ブルーのなかに銀色にかがやくバラフエダイの大群は、海中に大きく広がって浮かんでいる。
岩にはソフトコーラルが咲き乱れる。こちらは、深紅から薄いピンクまで、赤のグラデーションだ。
いたるところに、まっ黄色のレモン・バタフライがいる。いつも2匹のペアだ。


夕方は、安らぎのとき。地上を吹いていた風はやみ、凪になる。
太陽が西のアフリカ大陸にしずむと、残照の余韻が空と海面を赤く染めたあと、急に夜がやってくる。
海の生活のリズムを支配するのは月だ。潮の干満も、子孫を残す営みも、月がきめる。夜、海のなかは一変する。
新月の海は、まっ黒の闇だ。ジョージが、いちばん嫌いなときだ。得体のしれない生きものが出てくる。巨大な寒天のようなムカデや、3メートルもあるウツボが這いまわる。
ヤギやソフトコーラルも、夜は妖しい色の腕を伸ばして、ゆらゆらと闇の中で群舞しているのである。
無重力の世界だから、人間の場合は、まっ暗闇で自分が上にむかっているのか、下にむかっているのかすら、わからない。自分が吐きだす空気の泡がどっちに昇っていくかで、初めて上下を知る。
満月になった時の海は、ただものではない。月の下の海は、海面が宝石箱をひっくり返したようにきらめき、こぼれおちた光は、海底の輪郭まで浮かび上がらせる。月の神がなせるわざである。ジョージは、いつも、説明できない興奮につつまれる。
四大文明と呼ばれる人間の最古の文明のうちでの最初の誕生は、メソポタミアだ。紀元前4500年だった。
人類の父のアブラハムが故郷のメソポタミアのウルで激しく拒絶した神は、月神ナンナーだった。野蛮な月神はウルを守る代わりに少女の血を要求していた。
アブラハムはナンナーを否定して父親に激しく鞭打たれたあと、神の啓示を受け、家族と民を連れて遙かなるカナンの地にいった。
アブラハムも、蛮行は月神自身の手によるものではなく、強大な権限を持った神官たちの所業と考えていた。しかし、月だけが神なのか?
エレン・トレイラーの「Song of Abraham」には、彼が美しい妻のサライに、二人でエジプトに行く前に、こう言ったとしるされている。
「私はエジプトに行って、ファラオとも話した。多くの神殿や神々の像を見た。何故我々は、月だけが神で、他の神々は存在しないと言えるのか。太陽も、星も、大地も、川も、すべておなじようにわれわれの神なのだ」
もちろん、これはアブラハムが唯一神である全知全能の神と邂逅するまえの話だ。
アブラハムが訪れた古代エジプトは、多神教で、太陽が最高の地位にいた。ファラオの父である太陽神ラーは、太陽の船に乗って昼間は空を移動し、夜は死の世界を旅していた。その間、ホルスやトートの神々が夜を見守るのだ。
ラスモハメッド岬はエジプトの神々の支配の下にあるが、ジョージの神は、輝く月、そのものであった。

【著者の言葉】
この物語の舞台である「ラスモハメッド岬」は、紅海最北端のシナイ半島の、いちばん突端にある。
シャルム・エル・シェイクの町から、直線で南に15キロのところだ。
僕は、今に至るまで、かれこれ、20回くらい通ったろうか。
最初は1981年。カイロの日本大使館に勤務していた時だ。週末には、カイロから東に向かってスエズ運河を横切り、砂漠の中を運転して、500キロ先のラスモハメッドに通った。
潜って、度肝を抜かれた。抜けるような透明な海。海中での視界は70メートルもあったろう。「老ダイバー」が腰かける海中の絶壁のくぼみに身を置くと、目の前に真っ青に広がる無限の青。全くの別世界で、目の前を様々な魚の群れが通過していく。
そばには「シャーク・リーフ」があって、そこで出会ったのが巨大なナポレオンフィッシュだ。僕と、当時カイロにいた外国人ダイバー仲間は、その魚を「ジョージ」と名付けた。
シャーク・リーフを回りこむと、穏やかな浅瀬の「ヨランダ・ガーデン」に出る。太陽光がキラキラと底の白砂に反射し、珊瑚の中を無数のサカナが群れる楽園だ。そこが最終章の舞台だ。
あの壮絶な大自然に身を浸してしまうと、人間が海を破壊するさまに、悲鳴をあげたくなる。
ジョージと老ダイバーが、どのような物語を紡いでいってくれるのか。僕も楽しみだ。