もしもの日本史・創作シリーズ 光秀と藤孝
菊池道人
もしもの日本史・創作シリーズ
菊池道人
光秀と藤孝 第四回
永禄十一年(1568)九月に上洛した信長は、将軍義栄とそれを奉じる三好三人衆、松永久秀らを撃退、義昭を十五代将軍としたが、それによって、藤孝、光秀ともども、義昭、信長双方に仕えるという形となった。
しかし、義昭の行動に制限を加えるような掟を定めるなど、信長の強引な政治手法は時に義昭の意向に沿わぬことも多々あった。
義昭と信長が対立するようになると、二人とも信長に味方するようになる。室町幕府も義昭個人も天下を束ねるだけの力量はなく、信長の目指す新たな秩序作りに賭けてみるという点で双方の意志は一致していたのであった。
将軍義昭が追放され、室町幕府が滅亡してからは、松永久秀の大和多聞山城受け取り、石山本願寺との戦い、丹波平定と主に近畿地方での戦いは光秀が指揮し、藤孝はその補佐役となる。
光秀は丹波、藤孝はその北隣の丹後を支配、さらに光秀の娘、たまが藤孝の嫡男、忠興に嫁ぐなど、両者の関係は緊密なものとなっていた。
連歌の会にも度々同席するなどして、お互いの気心も知れたものとなっていた。
その盟友がついに
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