猛獣ども
井上荒野
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井上荒野
6
野々山純一
今朝の散歩は遅くなった。
昨夜、遅くまでYouTubeを見ていたせいで寝坊してしまった。そして散歩自体も長くなった。距離を歩いたわけではなくて、例の場所につい長居をしてしまったのだ。熊が出た場所。密会していたふたりが殺された場所。そんな場所が家の近くにあるというのは、なかなかに心騒ぐことだと、野々山純一は思う。何をしていたわけでもないのだが、早く行こうとリードを引っ張るレノンを無視して、突っ立ったままあれこれと考えていた。
ペンション「愛と山」に戻ると、カフェコーナーのドアを神戸夫妻が開けようとしているところだった。おはようございます。接客業の心得として、元気よく朗らかな声を純一は上げて、ふたりのためにドアを開けてやった。ペンション利用者の大半は県外から来た登山者たちだが、カフェコーナーには別荘の住人たちも多くやってくる。六十がらみの神戸夫妻は、週に二、三度は姿を見せる常連だった。
純一自身は建物の横手に回り、テラスの端の犬小屋にレノンを繋いだ後、裏の勝手口から中に入った。カウンター越しに見える店内で神戸夫妻はもう窓際のテーブル席に向かい合っていて、妻の愛は厨房でフレンチトーストの用意をしていた。純一は慌てて、水のグラスを夫妻のテーブルに運び、厨房に戻ると薬缶を火にかけた。
「悪い、悪い。リスがいたもんで、レノンが帰りたがらなくて」
コーヒーを淹れながら
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