「ケアの外注」の危うさの中で
酒井順子
「ケアの外注」の危うさの中で
酒井順子
広義での「ケア」とは、誰かのことを心配したり気にかけたり、ということになりましょう。その程度であれば私にも経験はあるのですが、しかし狭義での「ケア」、すなわち自立が困難な人の面倒を、自分が主体となってみるという経験は、持っていないのです。
狭義のケアとして多くの人が経験するものとしては、子育て、および介護がありますが、私には子供がいません。両親は、二人とも後期高齢者の年齢に達する前に、割とあっさり他界したため、介護らしい介護もありませんでした。
かくして私は、「おむつ交換経験ゼロ」の人間として、生きています。そしてこのような者が実感しづらいのが、コロナ時代の到来による、ケア現場の混乱なのでした。
新型コロナウイルスのパンデミックによって、人と人との接触が制限されるようになりました。
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