寺子屋山頭火
町田康
寺子屋山頭火
穏やかな堂守の暮らしではあったが、檀家の布施だけではとうてい賄いきれなかった。「経済システム」の不備はどこにあったのか。一方、山頭火の心の中の「惑い」は依然くすぶったままである。
町田康
第十九回 堂守・耕畝の虚と実
檀家の布施を原材料(燃料代など含む)として「祈り」を生産、これを観音に納入することによって、観音から「救い」という代価を受け取り、そこから工賃(山頭火=耕畝の苦脳に対する救い)を差し引いた上で檀家に「救い」を支払う。これを図にすると、
a観音←(祈り)─耕畝←(布施)─檀家
b観音─(救い)→耕畝─(救い)→檀家
ということになるが、一見、完璧に見えるこのシステムにはabともに不備があった、ということを先月、申しあげた。
その不備とはなにか。
まずaについて申しあげると、耕畝←(布施)─檀家、という時点で既に不備があった。それはなにかと言うと、
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