アマネク ハイク
神野紗希
アマネク ハイク
神野紗希
第一回 苺、一会
その夜のキッチンは、果物の甘い香りに満ちていた。
保育園から帰ってきた息子と二人、買ってきた苺やキウイフルーツをカットしてゆく。子ども用の包丁は、安全に作られているぶん、少し切れにくい。「力で押しつけるんじゃなく、鉛筆で線を書くように、すうっと引いてごらん」そうしてできあがった大小さまざまのカットフルーツを、ゼリーの素を溶かして注いだホールケーキの型に、ぽとんぽとんと並べる。息子の六歳の誕生日のお祝いに、ゼリーケーキを作るのだ。
ケーキといっても、あとは冷やして固めるだけ。ずぼらな私でもそれなりに見栄えのよいものができ、手間に対する仕上がりのコストパフォーマンスは非常に高い。そもそも息子は、丁寧に焼かれたケーキを出しても、フルーツだけほじくってスポンジを残すような不届き者である。そんなに果物が好きなら、余計なものを加えず、本命だけを固めてしまえばよいではないか。かくして、息子の「好き」を詰め込んだフルーツゼリーケーキは、無事、冷蔵庫へ格納された。
果物好きといえば、子規さんである。俳人・正岡子規は、病床でも食への情熱を絶やさなかった健啖家として知られているが、中でも果物がめっぽう好きであった。母・八重は、子規が小学生のころ、寝起きが悪い朝にはその手に蜜柑をもたせ、目覚ましにしたという。食欲で釣らないと起きないとは、なかなかの大物だ。書生時代には学費が手に入るたび、大きな梨ならば六つか七つ、樽柿ならば七つか八つ、蜜柑ならば十五か二十くらい大量に買って食べるので、お金がすぐに減ってゆく。それでもエンゲル係数は下げず、病床では食べるほかに楽しみがないと言って、葡萄やバナナ、パイナップル、毎日さまざまな果物を楽しんだ。
死の前年、明治三十四年に書かれた「くだもの」という随筆には、彼の果物への愛が綴られている。
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