『 愛のレシピ:23歳 』
下平咲
愛のレシピ・・23歳
クロワッサンとバターを片手に
食パンを食べる時みたいに、
クロワッサンにもバターをつける。
私の父と母は私が3歳の時に離婚をした。
両親が食卓で喧嘩しているところは未だに覚えているのに
それ以外の、父と母が2人仲良く揃っている記憶は
ほとんどないと言っていい。
どんな『2人』だったのだろう
と、時々思う。
何を思い結婚して、
何を思い離婚したのだろう。
愛というものは不思議である。
愛し合ったその時には「この愛は永遠に続く」と
本気で思えていたのにも関わらず、
案外あっさりと別れはやってきたりする。
母たちの愛はどんな形で、
何によってできたものなのだろうか。
そして何によって、
壊れてしまったのだろう。
「咲ちゃんのママは食べ物にうるさい人だったじゃない?」
と、母の妹である、里子おばちゃんが言った。
「だけど章浩さんはなんていうか、
食べられれば何でもいいってタイプの人だったから、
そんなに食に興味がなかったのよね」
確かに、私の母は人の何倍も食に興味のある人だった。
そして確かに父は食べ物に…いや、食べ物に限らず、
何事に対しても無頓着な人だったと思う。
「一番覚えてるのは、章浩さんがホテルの朝食で
出てきたクロワッサンにバターを塗って食べた出来事かなぁ」
里子おばちゃんはそう言って、何かを思い出すかのように目線を上に向けた。
「章浩さんがクロワッサンにバターをたっぷり塗る姿を見て、
『あんなにバターが練り込んであるパンに、さらにバターを塗るなんて信じられない!』
って咲ちゃんのママ、顔を真っ赤にして怒ってたわ。
結婚する前は彼の大らかで細かいことは全く気にしない性格に惹かれたんだと思うけど、
結婚して毎日一緒に過ごすようになった途端、
その大雑把さが逆にママの鼻についたんだと思うわ」
その話を聞いて、やけに納得してしまった。
私の母はとても繊細な人だったのと同時に、
とても器用な人でもあった。
そのため、自分の弱さを隠すこともとても上手だったのだ。
触ったら崩れてしまいそうな精神状態の時でさえ、
表向きにはニコニコと、幸せそうな顔をしていた。
バターがたっぷりと練りこまれているクロワッサンにさえ、
他のパンと同じようにバターを塗ってしまう父には、
母の繊細な部分を見抜くことはできなかった。
食パンだろうがクロワッサンだろうが、
彼にとってパンはパンでしかない。
母がクロワッサンにバターを塗ったことで怒った意味を、
彼が理解できる日はきっと来ない。
母はそれを察したのか、
8年ほど続いた結婚生活にピリオドを打った。
それは私が3歳の時の話だった。
1995年6月2日、
私は長野県の伊那市というところで生まれた。
そんな私の身に起きた両親の離婚は、
私の波瀾万丈な人生の、幕開けの合図だったと思う。
23年の間に、母のアルコール依存や自殺、
自分の摂食障害に鬱、いとこの失踪や兄の自殺未遂、
ゲイであることを兄からカミングアウトされるなど、
実に色々なことを経験した。
バターをつけたクロワッサンよりもずっと、
こってりと、ずっしりとした、23年間だったと思う。
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