漱石クロニクル ―絵で読む夏目漱石の生涯―
大高郁子
漱石クロニクル
―絵で読む夏目漱石の生涯―
大高郁子
第十回 「やめたきは教師、やりたきは創作」―朝日新聞社入社を決心する
明治三十八年(一九〇五年)三十八歳
一月三日の夜、高浜虚子、坂本四方太、橋口清(五葉)、橋口貢を招いて、猪肉入り雑煮をご馳走する。
鏡子と女中は、子供が食べ残した雑煮の餅を食べた猫が、しきりに前脚でもがきながら踊りをおどっているのを見て笑う。
一月十一日、『吾輩は猫である』の続編を書き上げる。最初のものより三倍以上、長かった。
一月十七日、東京帝国大学文科大学で午前十時から十二時まで「ハムレット」、午後一時から三時まで「英文学概説」の講義が始まる。また一高では、それまで「夏目さん」と呼ばれていたが、「猫さん」「猫」とも呼ばれるようになる。
二月二日、土井晩翠宛に水彩の自画像を送る。
《自分の肖像をかいたらこんなものが出来た何だか影が薄い肺病患者の様だ。》
二月九日、『幻影の盾』を執筆、二月十八日、脱稿。
二月二十二日から三月五日の間に『吾輩は猫である』(続々編)を脱稿。
三月下旬(推定)から、毎月一回、文章会を開くようになる。高浜虚子、坂本四方太、寺田寅彦、皆川正禧、野間真綱、野村伝四、中川芳太郎らが集まる。各自文章を持ち寄り、批評し合った。鏡子は集まる人たちのための夕食を朝から準備する。年末まで続いたらしい。
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