さびしさの自由律 ──山頭火に想う 片岡鶴太郎インタビュー
片岡鶴太郎
さびしさの自由律 ──山頭火に想う
片岡鶴太郎インタビュー
片岡鶴太郎さんは、芸能活動50年、画業30年を迎え、ますます活動の幅を広げている。なかでも山頭火の世界を自身の書と絵で表現する作品は、独特な味わいで多くのファンを魅了する。山頭火との出会い、山頭火の句から浮かび上がる心の風景について語ってくださった。
―― 自由律の俳人、種田山頭火生誕140年記念企画です。山頭火を愛する「表現者」のお一人、鶴太郎さんに是非お話を伺いたく思っておりました。
生誕140年! それは存じ上げなかったんですよ。
―― ご提供いただいたお写真……、山頭火の句「もめやうたえやゆけむりゆけむり」が、素敵に短冊に収まっておりますが、こちらはどちらのものでしょうか。
そうなんです。昨日草津温泉に行きましてね。草津には片岡鶴太郎美術館がございまして、そちらで取材があったんですがね。客室から大浴場に向かう廊下にふとこの短冊を見つけまして「あ、こんなところに飾ってあるよ、先様にすぐお送りして」ってスタッフに頼んでおいたんですよ。
―― ありがとうございます。ちなみに、この句を調べましたら昭和11年、山頭火がまさに草津で詠んでいる句でした。実は自殺未遂をした翌年の句なんですが、温泉で少しばかり身体を休めて再び旅を続けていくようですね。なんと言っても山頭火と、温泉、酒は切り離せませんが、鶴太郎さんも温泉やお酒はお好きですか?
温泉は大好きです。お酒は7年前にやめました。ヨーガを始めて10年ですが、2、3年たったころ、おちょこ2〜3杯で酔っぱらうようになってきましてね。だんだん身体に合わなくなってきてると感じたところで、これは飲まない方がいいなあとなってから、以来7年全然飲んでいません。
―― 山頭火との共通点はお酒好き、だったなんてこともあったのでしょうか。ご著書『しみ入る心の山頭火』を拝読しておりますと、山頭火、おまえもか、なんてフレーズが何度も出てまいります。他にも鶴太郎さんのお姿が重なるような句もいくつかございました。
私の好きな句の一つは「いつも一人で赤とんぼ」(昭和7年)。
これはよく絵と一緒に書にしている句です。私はとんぼが大好きなんですよ。
ふり返りますと、38歳でひょんなことから絵を描き始め、39歳のとき、百貨店の美術部の方と知り合って、展覧会のお誘いをいただきました。
「40歳っていう “男のけじめ” のときに個展を開きませんか」なんてね。
1年後に個展となると、それまでにどのくらい作品を用意したらいいんですかとお尋ねしましたら「100点」とおっしゃる。えー、100点なんて描けるかなあ、1年後に100点用意するということはつまり3日に1枚ということです。とにかく「3日に1枚、3日に1枚」って頑張って描きました。そうやって40歳の個展開催を目指して、そうですね、結果125、6点描きましたね。
―― それは、すごい! 大変な仕事でしたね。
それで、展覧会のタイトルを決めることになって、ふと、とんぼのことを思い出しました。
とんぼというのは後ろに下がらないんです。まあ、とんぼ返りっていうのはありますが、とんぼは何があっても “前に前に進んでいく” という。昔の戦国時代の武将はとんぼの意匠をつけて「勝ち虫」という名にあやかって験を担いでいました。ですから私も、40歳から四の五の言わず、これからは描いて描いて描きまくろうという思いを強くしたんですね。
それで、第1回の個展のタイトルは「とんぼのように」にしたんです。
そんなとんぼ好きな私が、山頭火の句で出会ったのが「いつも一人で赤とんぼ」というわけだったんです。
晩夏から秋に向かった時期に、赤い夕陽に向かってとんぼがたった一匹で飛んでいく姿に、「そうか、俺も前に前に飛んでいくか……」と勇気をもらった。少しばかりのもの悲しさと淋しさというか、「そうか、お前も一人か、俺も一人だ」……そんな思いを重ねてね。
「いつも “一人で” 赤とんぼ」なんです。この赤とんぼはもしかしたら自分なのかなあと。そういう思いで短冊に描いた絵と書だったと思います。孤独なんだけど、寂しいんだけど、強いんですよね。
とんぼでいうと「つかれた脚へとんぼとまつた」これも好きなんですよ。
旅をしながら、いろんな思い、そうですね、心のなかでいろんなこと反省しながら、悩みながら、歩く。疲れた時にふっととんぼが「すすすー」と足にとまってくれたときの、なんて言うんでしょうか。「あ、一人じゃないんだ。こんな俺でもお前がそばにいてくれるんだ」という、なんともじーんとくるような句なんです。
―― 山頭火の小さきものへの愛情を感じさせる句でもありますね。
そうそう、そういう句でほかに萩の句がありますね。
「ゆつくり歩かう萩がこぼれる」
私は萩の花が大好きでしてね。萩が咲いているところをね、無造作に歩いて花びらを落とす人がよくいるんですよ。あれがいやなんですよ。萩って、少し道にわりだしてきているんです。好きな人はね、それをちょっと横目でながめながら少しだけ遠回りして歩くんです。愛でながら、少しよけて歩くのが「萩好き」の歩き方なんですよ。だから山頭火もきっとそうなんだろうなあと思います。ゆっくり歩いて行って萩がこぼれないようにしておこう、って。
これは、やっぱり山頭火のものすごい繊細さ、ものを愛でるときの心の在り方がよく現れているような気がするんですよね。ものすごく好きです。
―― 優しいまなざし、謙虚な気持ちですね。
あと、椿も好きです。椿をいくつか詠んでるんですけどね。こぼれ椿っていう……そのなかでも「笠にぽつとり椿だった」、この句がいいです。
こぼれ椿、こぼれたての椿って湿度が残っているんですよ。重たいんです。落ちるときに「どんっ」て音がね、「人間が頭を壁にぶつけたような『どんっ』」て鈍い音がするんですよ。ですから笠の上に落ちたとしたら「かん」って音がすると思います。
なんかね、椿が頭から落ちたな、落ちたっていうときの、もの悲しさなんです。そしてその、生々しい音、生々しい重さ、生々しい湿度だから、そこにすさまじいまでの山頭火の死生観、山頭火の「死」というものへの姿勢を、そのこぼれた椿に見た気がしています。
―― 椿と言えば、赤とんぼもですが、赤色がお好きですね。いくつか絵の作品のなかで差し色としての赤が非常にきれいです。
赤は結構使います。そう、彼岸花も赤ですしね。
「お彼岸花の赤さばかり」
これも好きですね。私は焼物の制作もするので、佐賀県伊万里の工房で仕事をするときは、嬉野温泉に逗留しています。嬉野温泉まで工房から20〜30分くらいでしょうか。その途中に土手がありまして、そこにまるで炎のように、火事なのかなっていうくらいダーッて曼珠沙華が一面に咲いているんです。強烈でした。こちらが燃えるような気持ちになるんです。鮮烈です。
―― そうでしたか、嬉野温泉は山頭火も大好きな温泉地でした。共通点がここにも。他に共感する句はございますか?
お酒をまだ飲んでたころですが、
「ほろほろ酔うて木の芽ふる」
なんて句は胸に沁みました。ほろほろのころはまだいいんですよ。このあと、ぼろぼろ、どろどろってきますからね。ほろほろでやめられたらいいんですけどねえ。
―― 山頭火、おまえもか、というフレーズが多いのは、やはりそこんところですね。
酒を飲んでるときは、酒はおいしいし、気持ちがよくなりますでしょ、実はこれ、あぶないことなんです。話をしてて気持ちがうれしくなる、そう、うれしいことだけだといいんですけど、ちょっと気に触ること言われると、すぐに血が頭に上るんですよね。感情的になって、けんか腰になって、まあ酔っ払ってますから、神経が麻痺しちゃってますからストッパーきかなくてね。これがすっかり冷めたときの、後悔、罪悪感、まあ恥ずかしいのなんのって、忸怩たる思い……なんともいえない気持ちになりますねえ。
―― 山頭火と同じでしょうか。
そうなんですよ。山頭火、酒がやめられたらよかったんですよね。
―― お友達がたくさんいたけど、結局は孤独だったのかも知れません。孤独を紛らす酒だったんでしょうか。こんな友達、そばにいたらどうですか。
やっかいでしょうねえ。山頭火に言ってやりたいですよ。
「そんなに自分を追い詰めることないよ。酒癖が悪いんだから一人で寝床でもって飲むようにして、人に会ったときは加減して飲まなきゃだめだよ。あなたいい句が書けるんだから、専念しろよ」ってね。
やっぱり10歳の時に自殺したお母さんの存在が大きかったのでしょう。井戸に身を投げたのですから、その別れがずっと心に重くあったんじゃないですか。母への想いがずーっと。旅をしながらずーっと母親を想っていたんじゃないですかね。幼いときのああいった母親の失い方はつらかったでしょうねえ。大変だったと思う。だからこそ、こういう句が生まれたんでしょう。
自分が結婚して誰かがそばにいても「また裏切られるんじゃないか」っていつも不安に思っていたのかと。猜疑心がずっと拭えなかったんじゃないでしょうか。
―― いつも周りに賑やかに人は集まっていましたが。
人が集まれば集まるほど、ものすごい孤独感を感じていたのではないでしょうか。賑やかになれば「もう帰ってくれよ」と思うし、帰るってときには「え、俺をおいていくのかよ」って、どっちにおいても寂しさを拭えていない山頭火の気持ちがあったでしょうね。
―― ご自身もそんな心境になったことがありましたか。
50歳を迎えて、更年期ですか、まさに同じような気持ちになりました。これはやばいって思ってジムに行って汗をかいて、身体動かして余計なことを考えないようにして、帰ったらすぐに寝るようにしていました。ボクシングも再開、だけどクタクタになってゆったり湯船につかっていたりするといけません。また鬱々としてしまうんです。あ、いけね、悪いほうに悪いほうに考えちゃだめだって必死に自分を奮い立たせるようにしました。更年期は無縁だと思っていましたが自分にもありましたね。私の場合はこの後ヨーガに出会って、なんとか自分を立て直すことができましたが。
―― ヨーガの公式ライセンスを取られたときの映像を拝見しました。背中とお腹の皮がくっついて内臓がどこに行ったのかと。今も続けていらっしゃるんですね。
もちろんです。あれは内臓を上下に移動させて中身を浄化させているんです。ものすごく気持ちいいんですよ。
―― 1日1食、夕方就寝、23時ごろ起床だとか。今、真夜中ですね(インタビューは16時スタート)。
今日はこのあと収録も控えていますし、問題ないんですがね、いつもなら眠たい時間です。
―― 今日は、山頭火の俳句に寄り添って、作品の魅力のみならず、ご自身のことをたくさんお聞かせいただいてありがとうございました。
山頭火の俳句に勇気をもらった、励まされたというお話は、今も多くの山頭火ファンがいること、山頭火を愛する人たちの大いにうなずくところです。
コロナ禍や戦争の報道を毎日のように目にして、この閉塞感から我々の生活もなにか殺伐としたものになってきています。言葉の力を信じたいです。
読者の皆さんに言葉をいただけますか?
句というか、詩のような文章を書きました。
「此の身は借物なり いつか神に返す身なり」
この世のもの、自分のものなんて何一つないんですね。すべて借りものなんです。
領地を奪い合っていますけど「それはあなたのものですか?」と。
私自身の身体だってそれは借りものです。自分のものじゃないんです。地球のなかで生きている間だけ借りているだけなんです。人様の身体に手をくだすなんてとんでもないです。そんな尊いものに手をだすなんて全くもってあり得ないですよね。
地球という借り物のなかにいるのだから、自然に対しても、すべてにおいて謙虚でなくてはならないって本当につくづく思いますね。
―― 同感です。貴重なメッセージをありがとうございました。
最後に、もし目の前に140歳の山頭火が現れたらどんな言葉をかけますか。
「まだ、酒飲んでるか。だったら俺…、1杯だけ付き合うよ」
―― かっこいいです!
終わり
聞き手 岡崎智恵子
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