楸邨山脈の巨人たち
北大路翼
楸邨山脈の巨人たち
北大路翼
第二十四回(最終回) 妻として 加藤知世子
近すぎる葛藤
学ぶとはまねぶ、まねることに由来すると言われている。俳句も型がある以上、師匠や先達をどこかまねして取り入れていくことも必要だ。
ところがまねると似るは同じようでだいぶニュアンスが違う。まねるは積極的に対象に寄せていくことで、似るは意図とは関係なく対象に近づいてしまった状態をいう。
つまり意志があるかないかが、作家としては大事な問題なのだ。〇〇に似ているねと言われて複雑な心境になったことは誰もがあるだろう。〇〇は芸能人だったり、外見が優れている人だったり、たいていは、相手が喜びそうな人を、好意を持って似ていると称しているのだが、言われた方は案外、面白くないものなのである。比較されることに対する嫌悪感もあるかも知れないが、意志とは関係なく似てしまうことには何らかの抵抗があるはずだ。
楸邨も、自分にはないものを弟子には求めた。無自覚に作品の傾向が揃うことを嫌ったのだろう。その結果、本連載で紹介してきたように、優れた弟子が次々と輩出されていったのである。
そんな弟子の中で、もっとも不運だったのは、加藤知世子かもしれない。加藤知世子の「加藤」は加藤楸邨の「加藤」。つまり楸邨の妻でもあった。何故こんな回りくどい言い方をしたかと言うと、俳人には俳号があるからである。別の号をつけることも出来たにもかかわらず、加藤姓を名乗ることは、俳句仲間の中にあっても、楸邨の妻と見られることを、潜在的に受け入れていたのだろうと思う。
ある時の夫
餅食みつつ不敵の笑ひ書を閉ざす夫帰宅してある時は
怒らねば我がくむ新茶すするのみ怒ることに追はれて夫に夏瘦なし
(すべて『冬萌』)
夫手術
麻酔覚める瞳街の笹鳴もう句にして昼寝の夫に嚙みつくやうに速達便
(ともに『朱鷺』)
知世子は、句材として楸邨を詠み続けた。初期の頃の作品には前書も付されている。途中から前書もなくなっていくので、読者も、「あっまた楸邨を読んでるな」と思うようになっていったのだろう。
第一句集『冬萌』の三句はいずれも不愛想で、怒りっぽい楸邨が描かれているが、「書を閉ざす」「新茶すする」「夏瘦なし」という所作には、文人らしい威厳を感じる。そんなところを知世子も尊敬していたのだろう。夫婦でしか描けない絶妙な距離感が美しい。手術のときの句には、俳句に集中する夫に対する敬意が全面的に表れている。「速達便」の句は、せっかく夫がおとなしいときに限って、余計なことをしてくれるなという滑稽味がある。
夕日明るく朝日は暗し紅椿
疵なめゐる犬稲妻にはじかれ立つ
物乞を去らしめし石蟻湧く湧く
凍てし靴ふみしめふみしめ体温生む
(すべて『冬萌』)
こんな句からは楸邨の息づかいを感じる。「朝日」の暗さの内向的自制心、「疵なめゐる犬」の慈愛と厳しさはいかにも楸邨的だ。「稲妻」は知世子の好んだ素材で佳句も多い。結社名である「寒雷」は「寒雷やびりりびりりと真夜の玻璃」からとられたとされているが、夫婦間には何か特別な雷や稲妻に対する思いがあったのかもしれない。この寒雷の句は、楸邨にしてはそれほど優れた句だとは思えないからである。「蟻湧く湧く」のわざわざ六音で余らせてのリフレインも、作者名を伏せたら、楸邨の句だと言われるかもしれない。「体温生む」の重厚な表現も同様だ。
一方、知世子は、楸邨の句のようだと思われることについて悩んでいたようだ。「俳句」(昭和三十四年十一月号)のエッセイで、
先日知人から、「あなたの俳句は楸邨の手が入つてゐるんじやないかな、と人が云つてゐましたよ」と云はれた。今までにそのやうなことを、雑誌に書かれたこともあつたし、直接云はれたことも一、二度はあつた。けれども私は夫と私の作品の質を見れば、わかる人はわかつてくれる、と思つてゐたので、(中略)相当ショックをうけた。俳人の妻の作品は、いくら一所懸命で作つても、結局はこのやうな目で見られるのだらうか。
と心情を吐露している。先に僕が知世子を「不運」だと断言したのは、まさにこのことが脳裏をよぎったからである。知世子の言葉に噓はあるまい。楸邨も、妻だからと言って特別視をすることは絶対になかったはずだ。
しかし苦悩の中から、だんだん知世子らしい句が出てくる。「あまり好きではなかつた俳句の面白さがわかつて来たやうな気がする」と第三句集『太麻由良』のあとがきにあるように、楸邨ではなく俳句と向き合うよう覚悟が湧いてきたのであろう。
水替へんと触れし冬薔薇どつと散る
蛇への恐怖力となりて蛇を打つ
夏瘦始まる夜は「お母さん」売切です
(すべて『朱鷺』)
身ほとりに蜂踊らせつ梨交配
黙々と夫が喰ひをりぬかごめし
(ともに『太麻由良』)
「冬薔薇」は気負いがなくて、すっと共感できる。日常の何気ない場面を切り取っているところが良い。「蛇」の句は理屈っぽいと言えば理屈だが、蛇や爬虫類を毛嫌いする女性的な感覚が素直に出ているのが新しいと思う。「『お母さん』売切」は、真面目な知世子にもこんなユーモアがあったのかと、楸邨も驚いている。
「梨交配」も珍しいテーマだ。受粉に蜂を使うのだろうか。『飛燕草』というシルクロードを旅した一冊もあるが、旅詠が増える中で、こんな場面との遭遇もあったのだろう。「黙々と」ぬかご飯を食べる楸邨の側で、知世子も「黙々と」作句に励んでいたのである。
顔ひとつ入れて牡丹の匂ひ嗅ぐ
日向寝の野良猫耳を張りづめに
朧夜の医療機われにのしかかる
(すべて『夢たがへ』)
「顔ひとつ」がおおらかでよい。楸邨だったら「鼻ひとつ」「顎ひとつ」にするかも知れないなあといろいろと思いが広がってしまう。「耳を張りづめ」の緊張感。寝るときでさえ、野生に安堵の瞬間はない。「医療機」は「のしかかる」が重たい。闘病の我が身にもなかなか安堵の時が訪れない。
木漏日の斑や動きだす秋田螺
くるくると蜂まはし喰ふ女郎ぐも
瑠璃蝶ひらめく私ロンドン帰りです
つひに一冊読み終へし顔寒つばき
(すべて『頰杖』)
『頰杖』は遺句集。集名は「頰杖ながし青林檎ひとつ置き」から楸邨が命名した。俳句に夢中になっていたときは気がつかなかったが、思えばいつも知世子は頰杖をついてこちらを見ていた。
「木漏日」はごちゃごちゃしているようで、読み終えると、静かな景色がふっと浮かんでくる。「くるくる」は、「女郎ぐも」が出てくるまで、誰が蜂を食べているのだろうと不安になる。二句とも文体が不思議で面白いと思う。「ロンドン帰り」は「売切れのお母さん」の句を思い出す。蝶とロンドンが賑やかで楽しくなる。
「読み終へし顔」はどんな顔だったのだろうか。ついに閉じられた本が、知世子の一生だと思うのは私の読み過ぎであろうか。
(完)
【参考資料】
第一句集『冬萌』 一九五三(昭和二十八)年
第二句集『朱鷺』 一九六二(昭和三十七)年
第三句集『太麻由良』 一九七一(昭和四十六)年
第四句集『夢たがへ』 一九七八(昭和五十三)年
第五句集『飛燕草』 一九八二(昭和五十七)年
第六句集『頰杖』 一九八六(昭和六十一)年
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