漱石クロニクル ―絵で読む夏目漱石の生涯―
大高郁子
漱石クロニクル
―絵で読む夏目漱石の生涯―
大高郁子
第十七回 「今年は僕が死ぬかもしれない」―京都旅行と、若い門下生たち
大正四年(一九一五年)四十八歳
昨年、昭憲皇太后が崩御したため、諒闇となる。
一月一日、寺田寅彦宛の年賀状に「今年は僕が相変つて死ぬかもしれない」と書き添える。
一月四日以降、『硝子戸の中』を起稿する。
一月十三日より、「東京朝日新聞」と「大阪朝日新聞」に『硝子戸の中』の連載が始まる。
『硝子戸の中(三十)』より
《私が斯うして書斎に坐つてゐると、来る人の多くが「もう御病気はすつかり御癒りですか」と尋ねてくれる。(中略)
癒つたとも云へず、癒らないとも云へず、何と答へて好いか分らないと語つたら、T君はすぐ私に斯んな返事を与へて呉れた。
「そりや癒つたとは云はれませんね。さう時々再発する様ぢや。まあ故の病気の継続なんでせう」(中略)
継続中のものは恐らく私の病気ばかりではないだらう。(中略)凡て是等の人の心の奥には、私の知らない、又自分達さへ気の付かない、継続中のものがいくらでも潜んでゐるのではなからうか。(中略)所詮我々は自分で夢の間に製造した爆裂弾を、思ひ〳〵に抱きながら、一人残らず、死といふ遠い所へ、談笑しつゝ歩いて行くのではなからうか。》
一月二十九日、祥福寺の鬼村元成の兄弟子、富沢敬道と文通が始まる。
二月頃から、鬼村元成、富沢敬道との往復書簡が多くなる。求道の謙虚な態度に感服する。
二月十四日、『硝子戸の中』を脱稿する。
三月三日「秋景山水図」を描く。
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