『Web新小説』会員インタビュー
春陽堂書店Web新小説編集部
Web新小説会員紹介①
「町田康さんの山頭火解釈にとても魅力を感じます。旅先での読書では『Web新小説』が重宝していますね」と語る観世流能楽師・津村禮次郎さん。 今回は去る5月7日東京・喜多六平太記念能楽堂で津村さんが演じた「忠度」のレポートをお届けします。
「人間国宝の能楽師 津村禮次郎
優美に描く平家公達の夢──能『忠度』」
構成・岡﨑成美(本誌編集長)
人々が閉塞感に包まれる今、古(いにしえ)の世から光を照らす表現者がいる。 津村禮次郎、その人の優美な舞は人々を魅了して止まない。
能「忠度」を舞う津村禮次郎 ©吉越 研
「忠度」とは
令和4年5月7日、東京は目黒の喜多六平太記念能楽堂にて、能『忠度』を緑泉会定例公演で津村禮次郎が舞った。
コロナ禍にあってなかなか都心の能楽堂には足を運べなかったため、久々の鑑賞となった。心待ちにしていた私の期待を大きく上回る圧巻の舞台であった。
この演目は、いわゆる修羅物と呼ばれるもので、文武両道の平家公達、平忠度の切なき妄執の物語である。
忠度は平清盛の末弟で武勇の誉れ高き侍だったという。一ノ谷の合戦で源義経配下の岡部六弥太に討たれたが、その最期は敵に後ろを見せなかった。歌人としても優れ、藤原俊成の編纂する『千載和歌集』という勅撰和歌集に入選もしていたが、源氏に敗れ、朝敵となった忠度のその歌は「詠み人知らず」になってしまう。
舞台では、旅の僧が忠度ゆかりの地で宿を乞い、桜の木の下に亡霊になって現れた忠度が「定家(俊成の子)に名前を入れてくれるよう」訴える。命を落とした一ノ谷の合戦で腰の箙に短冊をつけていたとも。その歌がこれである。
行(ゆき)くれて木(こ)の下かげを宿(やど)とせば 花や今宵の主あるじならまし 忠度
津村「忠度」の優美さに見るもの
その忠度の最期だが、源氏の軍に紛れて逃げようとしたものの、当時上流階級に流行っていたお歯黒をしていたので捕らえられたなど、侍としては首をかしげるエピソードも伝えられているが、いずれにしても、ここまでの和歌への執着は侍としての軟弱にあらず「風雅への執念」が本物であるといえよう。また、これを人間の「捨てきれない惑い」というなら、我が身にも覚えがある。
この「惑い」を主軸にしたのが世阿弥作の能『忠度』なのだと思い当たった。
世阿弥の遺志を継いだ表現者が完成された美しさで見せられれば、物語は妄執のまま、惑いが惑いのままでは終わらない……。
まさにそれを知らしめる舞台であった。
まず、静かな前シテの出である。見る者は、前シテの老人のか弱さに怯(おび)える。まさか女性かと間違えるばかりの繊細な橋がかりの姿に客席からため息が漏れた。老人の枯れた姿を見ているはずなのに一筋の煌びやかな光を見た錯覚に陥る。
この時、面白い現象が起こった。一足先に出ていたワキの僧も、津村のこの光を見て感じるところがあったのだろう、一瞬、表情が眩しく輝いたのである。太陽と月の関係にも例えられるではないか。能舞台は宇宙である。
また、ワキは見物の代表として舞台に出ていると仄聞する。それも納得できる話だと思った。見物はワキを見て、自分と思いが同期していることに気付いて驚くのである。
前述したストーリーに基づき、舞台は進むが、前シテの老人の出において津村の優美な呪術の罠にはまった見物は、終幕まで誰一人として、忠度の和歌への執着を妄執とは思わない仕掛けである。
ワキの旅の僧の夢に中に出てくる後シテの忠度は誠に優美で美しい。妄執にとらわれた亡霊に見えない。それどころか、歌道という理想に生きて燃え尽きた美しい公達となって私たち見物の前で舞を見せてくれたのである。
忠度の和歌への情を無念として描くのか。
それとも無尽蔵の理想への夢として描くのか。
感染症の蔓延や凄惨な戦争が起きている日常、
閉塞感に包まれる毎日、
私たちが欲しているのは、間違いなく津村が描いた後者である。