楸邨山脈の巨人たち
北大路翼
楸邨山脈の巨人たち
北大路翼
第十三回 川崎展宏 知的な反逆者(三)
確信的陳腐
俳句の批評では「上手い」が否定的に受け取られることがある。使う側はもちろんいい意味で「上手い」と評していても、言われる側はどこかに気まずさが伴う。まさか「お上手」とか「ご立派」とかと同様に嫌味として聞いているわけではあるまいが、「巧い」と表記すると少しは救われる気がしなくもない。とは言え俳人は無意識で上手さを忌避しているようにも見える。なぜ俳句が上手くてはいけないのだろうか。
第一に考えられるのは、上手いだけであるという批判だ。俳句で重要視されるのは内容で、技巧は二の次という考え方である。また技巧とは当たり前のことで、わざわざ指摘することではないという風潮もあるのだろう。つまり「上手い」とは、
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