SNS(喧騒)から少し離れて
上田岳弘
通学路にて
上田岳弘
ソフトボールチームに入ったのは小学四年生で、それまではとにかく暇を持て余していたような記憶がある。といって、もう相当前のことだから、記憶はおぼろげだ。それでも鮮やかに残っているシーンがいくつかある。
ソフトボールチームに入る直前だったから、たぶん三年生のことだ。小学校からの帰り道、ほとんど使われることのない、公民館の裏に小さな工場があった。詳しくは知らないのだけれど、大型の弦楽器みたいな機械があって、ひとりのおじさんがそれで金属を削って何かを作っていた。何を作っていたのかも覚えていない、というか、その当時から何を作っていたのかを知らなかった。
記憶に残っているのは、作っているものではなくて、加工過程にできる鉄くずの方だ。それは、ゆるんだばねみたいにくるくるとねじれ、工場の外に捨てられていた。雨の日はぬかるんだ地面に水たまりができ、機械の潤滑油なのか、あるいは加工のために塗る必要があったのかわからないけれど、その油がながれこみ水たまりは七色になっていた。小学生だった僕は、光をうけてきらめく鉄くずも七色の水たまりも綺麗だなと感じていた。
どういう経緯かまでは覚えていないけれど、そもそも小学生のことだから、経緯なんてなくてただ興味の赴くままにそうしていただけかもしれないけれど、学校帰りに僕は工場の前でしゃがんで、そのおじさんによって次から次へと削りだされる鉄くずを眺めていた。そのうちに眺めているだけでは飽き足らず、こぼれた屑にこっそりと手を伸ばし、陽光にさらして眺めた。鉄が削られる音も、良いはずはないにおいも、なぜか心地よく感じた。遊ぶのにいい感じの鉄くずを無口なおじさんがくれて、僕は飽きることなくそれをいじった。それから、連日僕はその工場に寄った。
多分、三日目のことだったと思う。それまで微妙に相手にしてくれたおじさんが、急に冷たくなってもう二度と来てはならない、と告げた。その時は悲しかったし、なぜ急に態度が変わったのかわからなかった。
今思えば、あのおじさんのことがよくわかる。鉄くずも七色の水たまりも、綺麗なものではないし、けがをするかもしれない。一日ぐらいは気まぐれで相手をしたものの、そのせいで子供を危険な目に遭わせる可能性についてふと思い至ったのだろう。
と、そんなことを思い出したのは、ごみがきっかけだった。ある資源ごみの日の早朝、一週間分の缶やペットボトルや空き瓶を入れた袋をもってエレベーターを降り、すぐ目の前の収集所のコンテナに入れようとすると、ごみで遊んでいる小学生二人組と目が合った。僕がコンテナにごみを足すと、
「わあ、これ珍しい」
と言って、笑いあっている。
「これ、もらっていいですか?」
と聞かれて、僕は何の気なしにいいよ、と言ってその場を去った。
翌週。
同じ小学生二人が、僕のごみを出すタイミングで駆け寄ってきた。
「宝物を探しにきました」
と言って、またごみで遊び始める。ごみやくずが、子供にとっては宝物になるのは僕にも覚えがある。なんだかほほえましいように思え、子供たちの様子を眺めているうちに、先に書いた何十年前の記憶が、その顚末を含めてよみがえった。
缶もペットボトルも空き瓶も、捨てる前にちゃんと洗ってはいるけれども、ごみはごみであって、宝物にはなりえてもけっして綺麗なものではない。
とはいえ、いいよいいよと渡していたその口で、急に注意喚起をするのも気持ちが追い付かなかった。あの時、急に冷たくなって、もう二度と来てはならないと僕に告げたおじさんと同じ立場にいた。
さらに翌週、資源ごみの日、子供たちが来たら注意せねばならないと、謎の緊張感をもって、僕はごみを捨てに向かった。
しかし、子供たちはこなかった。きっと、子供らしい飽きっぽさで、ごみはもう宝物ではなくなってしまったんだろう。
助かったような、寂しいような。
あの時、おじさんが僕に注意したのが〝三日目〟だった気持ちがよくわかる。
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