アマネク ハイク

神野紗希

アマネク ハイク

神野紗希

第十二回 戦車と切株


野ざらしの戦車のまわりに野菜を育てる人の映像を見た。打ち捨てられた戦車は、胴体から発射部分が吹っ飛び、ばらばらに赤くびはじめている。そのすぐそばには、キャベツが丸々と太り、百日草の赤やピンクの花があざやかに揺れている。クレーン車でも除去できなかったので仕方なく、と畑の持ち主はインタビューに答えていた。私は、芭蕉の句を思い出した。

夏草や兵どもが夢の跡

芭蕉

『奥の細道』の旅の途上、奥州平泉で栄華を誇った藤原一族、その地で討たれた源義経と家臣へ思いを馳せた。あの武士たちの隆盛も夢と消え、今は夏草が生い茂っている。芭蕉はこの句の前に、杜甫の詩の「国破れて山河あり城春にして草青みたり」春望」を引用した。訪れたのは五月十三日。眼前に茂りはじめた夏草が、春を描いた杜甫の詩の未来のようで、経てきた時の厚みを可視化する。

もちろん、夏に訪れたから「夏草」ではあるのだが、この句の季節がもし違っていたらどうだろう。

枯草や兵どもが夢の跡

枯草は冬の季語だ。草も枯れ、人間も遠のき、そこには荒廃した景色が広がるのみ。言葉のベクトルは滅びの方向へ統一されるが、それだけに単調でつまらない。原句では、旺盛な夏草を配することで、自然と人間の盛衰のコントラストが生まれ、エネルギーが流動する世界全体が見える。命のそばにあるからこそ荒廃が際立ち、荒廃のそばにあるからこそ命の輝きが増す。戦車と草花の風景も、荒廃と生命が隣り合う点で、芭蕉の平泉の句と共通する。侵攻するロシア軍は夢と消え、百日草は今を盛りと咲きほこる。

いつからか、切株が気になるようになった。駅へと向かう街路の端で、踏み込んだ山の中腹で、校舎の裏の一角で、ばっさりと半身を失いながら、ぽつんと根を張っている。伐られたばかりのまだ生々しく木の香りがするものもあれば、ずいぶん時を経て古城のごとく崩れかけたものも。滅びゆくものの象徴のような切株だが、近寄ってみれば、朽ちた年輪の隙間にやわらかい草やすみれの花が根づいていたり、樹皮のひび割れから樹液の蜜が噴きこごっていたりする。個としての命を終えようとしている切株が、別の命の礎となって、大きなめぐりの環に組み込まれてゆく。ここにも、荒廃と生命の混沌がある。

切株に 人語は遠くなりにけり

切株は じいんじいんと ひびくなり


富澤赤黄男

赤黄男は生涯に3冊の句集を出したが、1冊目と2冊目の間で、その俳句の手触りは大きく変化する。第1句集『天の狼』は昭和16年刊。日本が戦争に突き進む時代の中、十七音の上にみずみずしい象徴の花をひらかせた。一方、第2句集『蛇の笛』は、敗戦後の昭和27年刊。出征して大陸で戦地を経てきた赤黄男にとって、敗戦後のパラダイムシフトと日本の荒廃は耐え難いものだった。あとがきにも、戦中戦後の十年を振り返り、「最後の崩壊へ追ひつめられてゆく焦燥と混乱と自棄。更に敗戦の絶望と荒廃。自己を喪失し、虚妄を追ひ、荒地を彷徨したこの歳月。そして私もこの黒い底に沈み墜ちながら、匍ひ上らうともがき苦しんだ年月であつた」と記す。

その表れとして、『蛇の笛』収録の句のほぼすべてが、途中に一字空けをはらんでいる。意味は視覚的に切断され、その断面が空白として痛々しく光る。句はひとつの生命体として凝結することを阻まれ、散らばった言葉は沈黙を呑み込む。まるで、彼自身がばらばらに引きちぎられてしまったように。先ほど挙げた切株の2句も『蛇の笛』から引いた。一字空けによって、「切株」と「人語」は切り離され、しんじつ遠くなる。切株の痛みはじいんじいんと、虚空に吸われてゆく。

切株の かなしきまでの孤独の光り

曇日の しろい切株ばかりと思へ

切株や 雲は氷の上をゆく

切株は つひに無言の ひかる露

切株の 黒蟻が画く 黒い円

赤黄男は『蛇の笛』に、切株を7句も詠んでいる。信じていた世界が崩れ去った己の現在の生を、体を失ってなお根を張り続ける切株に重ねたか。彼はあとがきにこうも書く。「本集の作品は私の悲惨な崩壊のうたかもしれない。がしかし私は私のなまの姿勢で詩つてきたつもりである」「蛇の笛〉は私の罅裂かれつした記念碑である」切株とはまさに「罅裂した記念碑」であり、赤黄男の生の姿勢を象徴する存在であった。一字ぶんの空白を見つめていると、まっすぐに立つ一句の言葉が、切断された木そのもののように思えてくる。

切株に座って、目を閉じる。私はひととき木となって、風に耳を澄ませる。くるぶしをくすぐるのは、ひこばえ。切株の根元から萌え出る若い芽だ。まだ、生きている。命が大地からこみあげてくる。平泉にそよぐ夏草が、戦車を囲むキャベツや百日草が、切株の蘖が、罅裂した傷の上に光りはじめる。

切株に詩を書く初雪は光

紗希

(おわり)



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