Dr.よねやまの芸脳生活 芸術家の生き様を医学で考える
米山公啓
Dr.よねやまの芸脳生活
芸術家の生き様を医学で考える
米山公啓
第十五回 泉鏡花と肺がん ③
禁煙すれば70歳代まで生きられたか
鏡花は喫煙者で煙管(キセル)を愛用していた
画/米山公啓
1907年(明治40年)、作家として揺るぎない地位にたどり着いた鏡花は、時の宰相、西園寺公望から、「西園寺を囲む会」に招待される。
森鷗外、幸田露伴など当時の有名作家を神田駿河台の私邸に招いて歓談を行う会で、あとから「雨声会」と名付けられた。
このとき夏目漱石も招待されたが、小説執筆を理由に出席を辞退している。漱石が宴会嫌いということもあったのだろう。その点、鏡花はむしろ名誉と思って参加したのかもしれない。
鏡花はそういう意味では、潔癖症ということ以外は、変人ではなく、むしろ、常識人であった。あくまで作品の中に異常さがあっただけのようだ。
1908年(明治41年)1月、春陽堂から『草迷宮』を出版している。
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